中国新聞夕刊 でるた 1985年 |
李清君
昨年のクリスマスのころ突然中国から手紙が舞い込んだ。四カ月前に私が出した手紙への返事であった。
二十歳の李清(リーチン)君は桂林の漓江河畔で観光客を相手に似顔の「剪紙(せんし)」をしていた。記念にと思い前に立った私の横顔をわずか十秒ほどで剪り抜いた出来映えは見事というほかなかった。
私は一行の他の三人にも剪ってもらうことを勧めた。一人一元の料金だった。彼は瞬時のうちに四元もうけたわけだ。私はその時彼がどのくらい稼ぐのか興味を抱いた。そこで、彼に写真を送る際に(四川省成都)そのことを聞いておいたのだった。
彼は桂林での三カ月に五千四百元稼いだと書いて来た。ひと月に千八百元の計算だ。私の知っている三十五歳の事務幹部が五十五元の給料であったことを考えるとその三十倍の収入になる。
日本の同年齢の人の給料を約二十万円と見積もってその三十倍は約六百万円になる。日本で毎月六百万円を稼ぐ二十歳の青年がいるとは思えない。しかし今の中国にはこのような若者が増えているのだ。
先日も新聞に「急増する中国個人経営」の記事が出ていた。二十三歳の美容店主が月収九百元、三十六歳のレストラン店主が月収三千元という。だが彼らは資本を投資した上に税金を納めている。
しかし李清君の場合は紙とハサミ一丁あれば足りるのに税金は納めてはいまい。中国の開放政策がもたらした申し子みたいなものだ。
しかし政府が李清君に六十元の給料で働けと言ってももはや素直には従うまい。彼はかつて存在しなかった経済的価値観を持ってしまったのだから。こうした若者を抱えた中国の指導者はこれからが大変だといえる。
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