「この辺の人は海亀を見れば殺す」
「卵を産みに来ればその卵までも取り尽くす」
熊楠の「見えるやつや」「伸びるやつ」という、物を「やつ」と話す紀南語が、おもしろい。
□白良浜の経営に就て
◆近頃の植林家は造林と云えばすぐに杉とか檜(ひのき)とかいうが杉檜はドコへ植えても成功するものでない。反(かえ)つて瀬戸あたりは鈍栗(どんぐり)などがよい。鈍栗の実も皮も樹も工業用になって利益の多いものじゃ。俺(わし)の子供時代に和歌山の今の赤十字病院裏手に
◆夕かり樹 を栽えてあったが、大抵はどこでも生長する木だ。殊に此木は生長が至極早いから近年追々石炭が尽きるという場合に薪材(しんざい)として大に有益だ。前年英国の陸軍大佐某氏は亜弗利加(アフリカ)へ盛んに此ユウカリ樹を植え石炭に対抗する策を立てたが之れなど笑う人もあるが決して笑うべきでない。此木は衛生上必要なオゾンを放散するから都市の衛生樹にもなる。瀬戸あたりの並木として栽え込んで先づ禿山に日蔭をこしらえるにもよいし、第一工業用には有益な木だ。種類が千種もあるという事である。爰に絵を画いてある。
◆東嗇(とうしょく) という植物は西比利亜に沢山あるが米の代用になる草じゃ。米高で困って居るが此様な植物も試作して見るがよい。それから
◆黒クルミの木 兵生(ひょうぜい)あたりでは之を伐って薪木(たきぎ)にして居たが勿体ない事で、此黒クルミは家庭装飾用になる木で価いも高い。此実は西洋人の好む物で、日本でも地方によってはクルミの実を食えば髪が黒くなると言い伝えて女などは好んで食べる。俺(わし)が兵生の人に薪木(たきぎ)にするは勿体ないというてやったら大阪に送って八十円とかに売れたとか言って、礼をいうて居た。田辺の小学校で無鉄砲に之を栽えて見たが思いの外によく生長し大きな実を結び葉が常のよりは大層大きい。佐藤成裕という人は其著中陵漫録に会津辺にはクルミの種類六十種もあると書いたが、白井博士は之は嘘だと駁して居る。併しクルミは変化し易い木だから佐藤の説も丸空(うそ)で無く田辺学校の物如き、特態も生じたのだ。又暖地のクルミは学者界では珍態に相違ないから此辺で繁殖すれば学者達の鼻が折れる訳(わ)けだが、それよりも大に工業界を益するのである。
◆貝類 も色々あるが「太刀貝」「烏帽子貝」なども珍だ。此貝の化石も生品と相比接して出るが、其起源を尋ぬれば随分古い年代を経たものであろう。之も会社あたりで保管権を持ち、時を以て採り時を以て保護し、繁殖を計るようにしたいものだ。
◆真珠貝 も大に有望だが真珠貝を成功させるには「アイサ鳥」を保護する必要がある。之等(これら)の鳥が真珠養殖に大功ある事を知らず、海の底ばかり見て真珠が出来ると思うと大間違いである。全体何事でも、物の出来るというには複雑な関係があって、無茶に木を伐ったり米汁を流し込んだり田を拓(ひら)いたりしても其地特殊の産物が消滅して了う事があるから、一小事件と雖も忽諸(ゆるがせ)に見てはならぬ。又学理々々というても、まだまだ今日の学問の程度では、当(あて)にならぬことが多い。例(あか)せば牡丹に瑠璃色の花は咲かぬとしたものだが立派に瑠璃色の花を咲かせた事もあるのだ。
◆湯崎温泉の 改良發達をやるつもりならば、先づ第一にあの辺の禿山に地味相当の栗流(くりりゅう)の木を栽え、道路なども夫々生長し易い前陳(ぜんちん)如き木を栽え日蔭をこしらえてから第二期の事業に着手すべきである。ケエリーなども小笠原で出来る位だから良いかも知れぬ。何事も一度や二度の失敗で失望してはあかン。布哇(ハワイ)、米国、伯拉爾(ブラジル)たりへ往て来た、経験のある人にやらせて見るがよい。和歌山の小浦に
◆三浦男爵の別荘 があったが満潮の時は庭園内に汐が差込んで来る。時刻をはかって出口の樋を閉じ中で魚を釣ったり小舟を浮かべたりして遊んだものだが綱不知辺でも「海亀」や「あざらし」如きを飼養し、之に藝を仕込み旅館の庭園内に入江を設けるなども面白かろう。
◆海亀 之はタートルというが赤色のは左ほどでもないが青いのは公式の祝宴に必要な品で、貴重品である。此辺の人は亀を見れば殺す。卵を産みに来れば其卵迄も採り尽す。之れでは其種族が滅亡するより外は無い。経済上から見ても甚だ不利益だ。志賀重昴氏は「日本人は到る処ろ生物を殺すばかりで殖(ふや)す事をしない」と嘆息して居るが、予も至極同感だ。
それから「豌豆蟹(えんどうかに)のフライの話」曲亭馬琴が瑣吉と称した話」「やどかり」の話などあり、話上手の先生の話、滾滾(こんこん)としていつ果つべしとも思われざりしが長居をしては研究の御妨げならんと存じ、辞して帰る時、あの有名な「松葉蘭」の培養ぶりを見せて貰って門を出た。(此項終り) 柴庵記
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