2017年10月4日水曜日

「随筆」 『国語の表現』学術図書出版社 

「随筆」

 随筆とは何か。中国宋代の人、洪邁はその著『容斎随筆』の中でこう書いている。

 私は生来なまけもので読んだ本も多くはない。気持のおもむく所に従ってそのまま書き記し、内容のあとさきも書いたままにして、改めて整理し直しはしない。だから名付けて随筆と呼ぼう。
(序)

 本当は全十六巻にも及ぶ大部な書を、謙遜してこう言ったのだが、随筆という言葉の概念がよく分かる。つまり、折にふれて心に感じたことを、そのまま素直に書き表したものが、随筆であるということだ。それだけに、書き手の感情や知性、個性的な物の見方や、独特の体験、といった人間味が強く表れる。だからまた、随筆とは、その底に書き手の人間性が流れているものとも言えよう。したがって、随筆を書く場合は、肩ひじ張らずに、心に浮かんだことを、そのまま素直に書く姿勢が大切で、自己の感想や感動を主とした主観的な筆致で書けばよい。
 次の例は、大学二年生の女子学生が授業中に書いた「テッセン」と題する四百字随筆である。

   テッセン
 私の家の庭に「テッセン」と呼ばれる花が咲いた。もっとも、私の親がそう呼んでいるのであって、正式の学名でどう呼ぶのか知らないし、知ろうともしない。春の陽の中でたくさんの光を浴びて、うす紫の花が咲き誇っていた。その中に、突然変異か花のきまぐれか、花びらの形の変わったものが三つあった。それは、とても変わっていて、虫にでも食べられたかと思わせるようなギザギザの形をしていた。そんな花たちが、さほど水も与えないし手入れもしない私の家に長く咲いている。よく生き延びているものだ。
 人間の中にも、他の人と少し毛色の変わった人がいる。「凡人」という人は本当は世の中にさほどいないと思う。人それぞれが独特の味を持っていて、それが、周りから見ると変だなとも思え、またおもしろくも思えるのだ。そして、なごんだ気持になりさえもする。そういう集まりであるから、人間というのはおもしろいのである。

 自分の主観をもとに素直に書いていて、女性らしい視点のこまやかさと優しさがよく表れており、思いを人間の個性に及ぼした点で文章を引き締めている。これは四百字という字数だが、一般に随筆は長くならないように短くまとめた方がよい。
 次は更に短く二百字ちょうどにまとめた大学二年男子学生の「みず」という習作である。

    みず」
 どんな形にもなじみ、嫌うことのないみず。もし、みずに心があるなら、どんな物でも包み込む大きな心であるにちがいない。たえまなく流れ、時には激流となり、また時には、静流となって、流れている。まるで人生ではないか。苦しみがあり、そしてまた楽しみもある。そうさ、私はどんな時にも、何事も包み込むことのできる人間、心の大きい広い人間となりたい。みずのような心。冷たいなんて感じるが、逆に温かいものである。

 むずかしい用語やひねくった言いまわしを使わず、書こうとする構想がはっきりしており、個性的な観点と表現が見られていい文章に仕上がっている。短く、平易に、個性的にというのが随筆の要点である。

 これらはやや真面目な雰囲気を持った例であるが、随筆は、深刻ではなく気軽に読めて、どこかにウイットやユーモアが感じられることがまた一つの特徴として歓迎される。次のは慶応大学教授であった池田弥三郎のことを書いた、国語学者金田一春彦の随筆「池田弥三郎とオウム」である。

    池田弥三郎とオウム
 この間亡くなった池田弥三郎君の話術は天賦のものだった。材料もいいが、扱いもいい。創作の部分もあるのだろうが、どこまでが事実なのか、継ぎ目を感じさせなかった。
 ある日私の知り合いの小鳥屋の主人が、私を訪ねて来た。聞けば自分の息子を慶応の幼稚舎に入れたいと言う。先生は慶応の池田先生とは別懇の間柄と承知している、ついては私の子どもをお願いして頂けないか、と言うのである。そうしてこれは御挨拶のしるしだと言って、立派な錦鶏鳥を一羽、かごに入れて持って来ていた。錦鶏鳥はかねがね私が欲しいと思っていた鳥である。小鳥屋の主人はそういう私の下心を見すかしたのだろう、これは雄鳥です。もし成功したら、雌も持って来てつがいにして上げましょうと言う。まだ入学情実のやかましくない時代のことである。私は紹介だけはしてあげようと約束した。小鳥屋さんは大いに喜び、それではあすにでも池田先生を訪問したい。何を持っていってお願いしましょう、と、揉み手をして待っている。私は、池田君はお金を受け取るような人ではない。しかし、鳥ならばあるいは受け取るかもしれない。と答えてから「そうだ、オウムでも持って行ったらどうだろう。池田君は忙しい人だから、オウムに“オネガイシマス”というセリフを教えこんでおいて、そのオウムが池田君の顔を見るたびに“オネガイシマス”と言うようにしておいたら、池田君も忘れないで努力してくれるかもしれない」と、これは半分冗談の気持で行って帰らせた。小鳥屋さんは私の言葉をそのまま受け取って、オウムをその翌々日ぐらいに池田君にとどけたという。
 ここからあとは、池田君から聞いたところであるが、そのオウムは正しく”オネガイシマス””オネガイシマス”というのだそうである。小鳥屋さん、真剣になって教えたものらしい。ところが残念ながら、小鳥屋の坊ちゃんは慶応幼稚舎に入学できなかった。そこで私の家には錦鶏の雄が一羽、池田君の家には白いオウムが一羽、貰い物として残ったことになったのである。
 話はここからである。池田君によると、そのオウムは、一日中”オネガイシマス””オネガイシマス”と繰り返し叫んでいる。だめになったあと、そういう言葉を聞くのは苦痛である。そこで、池田君はオウムに「もう結構です」という言葉を言わせようと思った。で、オウムの籠の前へ行っては、モーケッコーデス、モーケッコーデスと言ってみる。ところが、オウムに言葉を教えるということは意外に難しいもので、いくら池田君がオウムの前でケッコーデスと言ってみても、オウムはキョトンとして池田君の顔を見守っているばかりである。そうして口を開けば、相変わらず、オネガイシマスを繰り返す。
 ところで、池田君は時に大きな咳払いをする癖があるのだそうだ。原稿用紙をひろげ、万年筆で最初の一字を書こうとするようなとき、大きくオッホンとやる。そうすると、調子が出てすらすら文章が書けるので、それがいつか習い性となってしまった。ところが、オウムが池田君のその咳払いを覚えてやるようになってしまったのだそうだ。それを実に巧妙にやる。池田君の留守にもそれをやる。てい子夫人が奥で家事をしておられると、池田君の書斎の方で咳払いの音がする。今日は大学へ行っているはずなのに……と思って書斎へ来て見ると、池田君はおらず、オウムが、どうだうまいだろうというような顔付きでこっちを見ている。忙しい時はほんとうに困る、あの咳払いは何とかならないかしら、と、池田君は夫人から泣きつかれたのだそうだ。と言って、オウムに新しい言葉を覚えさせるのも難しいが、一度覚えたのをやめさせるのは、さらに難しいことは、“お願いします”で経験ずみである。そこで、池田君は考えて、池田君がオウムに「咳払い」と言った時だけ、オウムがオッホンと答える、と言うようにしこんでみよう、と思い立った。それ以来、オウムを見ていて、オウムがオッホンと言いそうな時には、すかさず「咳払い」と言ってみる。オウムはそのたびに妙な顔をして池田君の顔を見ていたそうであるが、今度は逆に池田君の「咳払い」と言う言葉の方を覚えてしまったのだそうだ。
 それ以来、池田君の顔を見ると、オウムは“セキバライ!”と言う。そうすると、思わず、池田君の方でオッホンとやるようになってしまったが、そこまで話してから彼はこう言った。「これではどっちがオウムでどっちが遊ばれているのかわからなくなってしまった」
   (『現代』1982年10月号)

 肩がこらず気軽に読める筆致で、最後まで軽妙なユーモアにあふれている。そして、作者にはある種の心の余裕が感じられ、読む方も心楽しくなる。これは経験を重ねたある年齢に達しないと生まれない余裕なのかも知れないが、大学生の中には若くしてこういう筆致の文章を得意とする人が必ずいるものである。いずれにせよ、池田弥三郎のしゃ脱な人柄のみならず書き手の金田一春彦の人間味までもがよく表れている。
 随筆は、テーマとして人の心、人の反応、人間らしさ、人間味等どこかに人間を感じさせることを中心として描けば成功することが多い。
 また、いい随筆を書くための心構えについて言えば、一社会人として話題を豊富に持っていることが必要である。そのためには自らが何でも体験してやろうと積極的に、あるいは旅をし、あるいはボランティアをし、あるいは雑多のアルバイトをする等の気概を持つことが必要である。そして人の体験や考えをよく聞く耳を持つこと。中学生、小学生、幼稚園児と年齢が下がるほど自分のことばかりを喋って、人の話が聞けないものであるように、人の話をよく聞くということは実は高度な知的作業であることをよく知っておくべきである。そして、実際に書く場合には、自己の主観や感動、経験や出来事をていねいに再現して文字を書き連ねる粘り強い根気がなければならない。いかにくつろいで自由に語るのが随筆であるとは言え、ていねいに表現しようとする根気が強ければ強いほどいい随筆になるものなのである。

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