2012年4月23日月曜日

かわにな 午後2時半まで 基地作り 2012 4 14

かわにな バケツ2ハイ これでホタルが飛ぶころまで だいじょうぶ
庭に帰って次は 山に入って 作りかけの基地のところへ


ひろなは えじそんをここまではこんでかわいがる

基地の山から降りてきて おやつ


さくら やまつつじ  

もの干し台をみあげて このひょうじょう


どうが とにかくなんでもたのしむ4人 2012 4 14



どうが これから向こう岸へ


どうが その2 古川 2012 4 14


かわにな どうが まず水あそび


かわにな 古川 2012 4 14

あそびにいってもいいですか とはるなからメール いいよと返すと ももちゃんとあきちゃんとひろちゃんと私で行きます 10時からホタル祭の打合せが公民館であるので13時集合と決定
いい天気 四人がわいわい声をひびかせながら 歩いてあがってきた
カワニナ集めに川へ 網4 ゾウリ4 バケツ2 を持って古川へ
あき
あき 水はまだ冷たい

ももか 

ひろな はるな あき

へんがおしてみて というと

へんがお~ぉ 

ははは は

ほんと ほんとの えがお

向こう岸まで

またひきかえす

ゾウリをはいているのに ぬぎたがる だいたんさ

どんなこえをあげているとおもいます?

こんどはだっしゅ

このあみ 左白ふたつは10年前 右青は3年前のあみ
あみをもっても うごきがたのしい
ひろなが どどど 

2012年4月22日日曜日

どうが モモももひろ


どうが 山にはいる がけ はしご


どうが 竹林たんけん


どうが 恐怖のぶらんこ


どうが 幼虫さがし


どうが ももかのちくわ


どうが バーベキュー


どうが 放流


恐怖のぶらんこ ロープが

山に入って竹を伐り倒す。その前に、恐怖のブランコを探して、竹林をゆらゆら。ブランコは、3日前に竹にはしごをかけて、ロープで自作。竹林のブランコははじめて。2年生のひろなが勢いつけてぶ~ん。じょうず。5年生三人は、こわいのを楽しんで、おおさわぎ。 やっぱりひろながうまい、と思ったら、ぶ~んと飛び出して、そのまま3メートル下の斜面に落ちた。ロープの継ぎ目がほどけたのだ。

バーベキューで昼食

9時半集合してすぐに生協へ買出し。 焼肉カルビー980g、ちくわ、ウインナー、いちご、お菓子、ジュース、キャベツ。炭に火をつけておいて、放流。川の中で、ながぐつに水が入って、ずぶ濡れ。
庭にもどって、焼肉準備。
やきにくももか
あき はるな 煙りが けむたい 手はももか

お皿の中はからっぽ

いちご はやく

ちくわのなかに舌がみえる

いちご

いちご 洗わずにそのまま 右下にお菓子

モモとももか  ひろな

モモは11,3kg あき

モモが重たい~

ふたりの4本の手がモモをだっこ

ひろなにだかれたモモのかお

放流 恐怖のブランコ ロープが

ひとり30匹 合計120匹 鯛の迫川に入って放流。郷田さんも
いざしゅつぱつ 郷田さんも見送り

ながぐつ

タオル
川におりる

これが鯛の迫川

幼虫をここに放流 120匹

鯛の迫川 これから上流へ

ここまでは順調

深味でずぶずぶ 靴の中に たっぷり水が入っています

ホタル幼虫 恐怖のブランコ ロープが

3月は大忙しだった。4日鹿児島、5日かごしま近代文学館、6日川内まごころ文学館・財部智美、7日屋久島宮の浦、8日屋久島・ヤクスギランド・海中温泉・千尋瀧、安房、9日屋久島・縄文杉、10日白谷雲水峡・宮之浦・安房トロッコ・安房橋・営林署官舎、11日安房、鹿児島、月の舟。
12日茉映まな誕生。14日送別会。
16日東京、福江さん、巣鴨、コンフォートホテル、17日新宿歴博、後藤さん、巣鴨、望月百合子記念館、尾形明子講座、ボケと浅草立ち飲み、18日長野、湯田中、よろづや、林芙美子文学館、黒鳥正人さん87歳、19日角間温泉、志賀高原ロマン美術館、鈴木幸野さん、東京。
20日卒業式、22日尾道図書館、尾道東高校、林芙美子書簡、池田康子さん、24日拍案驚奇宴会、25日尾道研究室引っ越しレンタカ健豊。

2009年1月30日金曜日

文化フォーラム「林芙美子」 の反響


 「林芙美子・魯迅・内山完造」の題名と林芙美子の写真は印象的だったようだ。問い合わせの電話がかかり、手紙が届き、小包までも届いた。いずれも、話を聞きたいが行けないのでどういう内容なのか知りたいというものだった。はてな、と不思議に思った。電話は東京からだったという。フォーラムのことが新聞に出たわけではない。なぜ東京に知れたのだろう。

 数日して届いた手紙から謎がとけた。電話をした人からだった。尾道を訪れ芙美子の女学校をたずねたところ、尾道東高校でポスターを見たのだという。二十四日は行けないので発表文とポスター一枚を送ってほしい。NHKラジオの録音テープと、なんと寸志として紙幣が一枚入っていた。テープは今年の元旦に放送された「新春朗読への招待 林芙美子の世界」の録音で、姪の林福江氏が出演していた。

 それを聞いていた時だった。こんどは男性の声で電話がかかった。林芙美子の講演があると聞いたが行けないから書いたものを手に入れたい。尾道に行った人が東京にもどってそう言っていたと別の人から聞いたのだという。どうやら新宿区では人づてに広まっているらしい。

 八十を過ぎているというこの男性は、芙美子が教師になっていたらあのように若死はせず、教えながら小説を書くことができただろうに、なぜ小学校の恩師がそうさせなかったのか、その恩師も自身が苦労して教師になったのだから芙美子にもその道を歩ませた方がよかった。芙美子は戦争を書いているが、どこまで見てどこまで書いたのか、検閲の下でどのように筆を曲げたのか。考えを聞いてみたいと思い電話をかけたという。

 放浪記から北岸部隊までかくも詳しく読んでいる人がいる。芙美子と聞けばすぐに行動を起こす人がいる。芙美子の魔力はすごいものだと思った。男性には後日出来上がる文章をお送りすることになった。

 小包はこうだ。会場に荷物が届いたという連絡が入り、行ってみると段ボール紙で厳重に梱包された手作りの荷物があった。中には林芙美子記念館の紅葉と四季の花のパネル写真があり、新宿区発行の冊子「落合の追憶~落合に生きた文化人」や、芙美子一筆箋などがあった。送り手は冊子の作成者に名を連ねる女性で、来場する芙美子ファンにいろどりを添える品々を提供してくれたものだった。きれいな字で書かれた手紙には、尾道を訪ねた友人からフォーラムの事を聞いて送るとあり、いつぞやは記念館でお会いしましたねと書かれていた。そうだあの時の、とすぐに思い出した。落合の記念館を訪ねた私に林福江氏がまもなく来られますよと教えてくれ、邸内の小路でぶつかりそうになった女性を、この方が福江さんですよと引き合わせてくれた人だった。

 フォーラムの会場は人で埋まることはなかったが、東京から送られたパネル写真と品々の色は白い部屋にひときわ目立った。林福江氏が椅子に腰掛けた写真と、芙美子を語る姿が肉声とともにスクリーンに現れたときにはどよめきが起こった。私たち尾道の林芙美子に、東京の林芙美子が覆いかぶさってきたからだった。芙美子が虹を渡ってやってきた瞬間だった。