どれだけ志和のことを聞いたか。ねえやんは「一緒に志和にいこよ。いっぱいあわせたいひとある」といつも言っていた。とうとうねえやんはわたしを志和へは連れて帰らなかった。自分一人でも土佐に帰るヒマがなかった。そのゆとりもなかったからだ。
志和には34年前の1974年に初めて行った。一人だった。仕事で参加する大会が高知市であった。会場に少しだけいて、すぐに窪川まで車を走らせた。姉が全額を出して現金で買った中古のシビックだった。高知へ行くこと、志和へ行くかもしれないことを田邊のねえやんに伝えてあった。
窪川には電器屋をしている黒石の姉がいると聞いていた。国道56号から志和への県道に入ってしばらく行くと、道路脇に「窪田電器」と書いた店があった。ここに違いないと思い、店に入り、田邊のねえやんに我が子のように育てられたんです、と出てきた人にいうと奥から着物をきた女性が出てきて、疊の上に座った。黒石の姉だった。
ねえやんは行くと確信していたのだろう。行ったらよろしくたのむと電話が入ったという。女性は老齢に見えた。九人兄妹の末っ子のねえやんからすると長女の黒石の姉が老齢に見えたのは無理もないと今に思う。さほど大騒ぎをしてくれなかった。これから志和へ行きます、と告げて再び車を走らせた。
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