2008年2月18日月曜日

高知県高岡郡窪川町志和に浜野春尾(ねえやん)を訪ねて 34年前 その三


年馬さんの家であることは疑いようがなかった。上がると座卓のまん中に大皿があった。両手を拡げなければ持てないほど大きな皿には赤い切り身が山のように盛られていた。土佐名物鰹のたたきだった。座ると「春尾の兄じゃ。食え」と言った。分厚く切られた鰹は噛んでもかんでも呑み込めなかった。塊のまま無理に呑み込んで次の切り身に箸をのばした。うまかった筈だが味は思い出せない。おいしい、嬉しい、腹を空かしている、と思ってもらいたい一心だった。
「兄妹九人がさっきの角の小さい家で住んどった」「食ったら墓へ連れて行っちゃろ」「春尾から電話があった。きっと行くさかいよろしうたのむ、と」「やっぱり来たか」
私の仕事やなぜ来たのかなど、少しも聞こうとしなかった。ねえやんがすべてを話しているにちがいなかった。
志和小学校の横の細い道を山に向かって上がると古びて小さい墓石がたくさん並んでいた。「先祖の墓じゃ。わしらの父親はこれじゃ」立ったまま指さすその墓石の前にしゃがんで両手を合わせた。ねえやんもこうしているにちがいない。
墓は、畑の畝と同居していたように思う。34年前は、一人が歩けるだけの小さな道が小高い丘をなでるように続き、農作物にまじって小さな墓石が並んでいた。下にはぎっしりつまった屋根が見え、向こうに海が見えた。
【写真】ねえやんと同級生 中央立ち姿の女性四人のうち右から二人目がねえやん

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