紀州熊野の景勝の地を旅した幕末、明治の漢詩人、石橋雲来が、自然の美しさを詠じた漢詩集『南紀遊詩』が、田辺のあおい書店から出版されました。千葉宏太郎釈、久保卓哉校正。
紀伊民報は、南方熊楠ゆかりの田辺市で発行されている南紀地方の有力新聞です。
田辺市下屋敷町、あおい書店経営の多屋朋三さん(64)が、江戸末期~大正時代の漢詩家石橋雲来の「南紀遊詩」=写真=を読み下し、再出版した。B5判、127頁。明治中期の田辺市や白浜町まどの風景が漢詩でつづられている。
多屋さんは、以前から紀南地方に関係した古文書の再発行に取り組んでいる。田辺市新庄町の元高校教諭、千葉宏太郎さんが読み下し、白浜町出身で福山大学教授(中国文学)の久保卓哉さんが校正した。
原文と読み下し文を照らし合わせて読めるよう交互に掲載し、注釈も付けている。
雲来は姫路に生まれた漢詩家。1914年、68歳で死去した。
多屋さんによると、南紀遊詩は雲来が各地を旅した紀行文全3巻のうちの第二巻。1888年か89年に出版したと考えられるという。
雲来は87年に40日余りかけて熊野を旅した。和歌浦、日高、田辺、古座など県内各地を巡り、それぞれの土地で漢詩を詠んでいる。
田辺と題した漢詩は七言絶句で「山有蟾蜍海鬼橋/田辺之地好逍遥/碧翁熊叟称高逸/恨使吾人嘆寂寥」と詠んでいる。碧翁は田辺之文人池永寿散、熊叟は画家中田熊峰のことで、雲来が田辺に来たとき、二人はすでに死去していた。出会うことはなかったが尊敬の気持を表しているという。
田辺市美子浜にあった鬼橋岩や同市稲荷町のひき岩、同市上秋津の奇絶峡なども題材にしている。
初代西牟婁郡長を勉めた大江秋濤、田辺の医師目良碧斎、漢学者湯川酔翁(退軒)らの名前も文中にある。「往来過従時爾聯深勝」と書いており、一緒に田辺の名所を鑑賞したことがうかがえる。
多屋さんが確認したところ、県内の図書館で保有しているのは新宮市立図書館や田辺市立図書館、郷土史家らにおくった。残り50部はあおい書店(田辺市湊)アークⅢで販売している。5000円。
多屋さんは「田辺をはじめ紀南地方のことが書かれており興味深いと話ている。