中国図書(内山書店)表紙 |
ソウル五輪陸上競技で、アメリカの女子百
メートル選手ジョイナーが話題になった。筋
肉隆々で上腕や大腿は動くたび盛り上がり、
スローモーションで見るとその逞しさは他を
圧していた。それなのに国旗を見上げながら
表彰台で涙ぐむ姿は、おやっと思うほど繊細
でしおらしかった。
競技用の衣裳と化粧と、そしてなにより、
爪の長さと爪に施したマニキュアが、また注
目を浴びた。爪にマニキュアをし耳に穴をあ
ける、髪を染め眉毛を剃り落とす、これらは
目次 |
や主張が際立って強く込められているものだ
手爪五寸 |
と、極彩色のマニキュアは何なんだろう。
中国では古来手が長いとか爪が長いという
のは、異能の持ち主であるか、その可能性を
持った人物であるのが普通である。
手が長いので有名なのは三国志の劉備玄徳
だ。身長は七尺五寸(一八〇㎝)、手を下に垂
らすと膝までとどき自分の眼で自分の耳が見
えたという。
西晋の世では帝位継承問題を手の長さが決
した。文王は長子司馬炎よりも次子司馬攸を
可愛がり世継ぎにと考えていたが、これに断
固異を唱え、且つ文帝の考えを翻意させたの
は功臣何曾の次の言葉であった。「髪委地、
手過膝、此非人臣之相也。」髪が地面までつ
き手が膝を越える人相を持つ長子炎こそが皇
帝としてふさわしいと。炎の治世は二十五年
の長期に渡った。
爪が長いので有名なのは唐の詩人・鬼才李
賀だ。「細痩通眉、長指爪、能苦吟疾書。」こ
れは李商隠の李賀小伝のことばだが、李賀は
痩身で太く濃い眉を持ち、その指の爪は異様
に長かったという。
これらは男だが、女だと爪の長さはやはり
美しさと関係する。
南朝陳の高祖宣皇后は若いころから眉目麗
しく聡明な美人であったが、その手の爪の長
さは五寸もあり、しかも桃の花、李の花の如
く紅白の色合いが鮮やかで、余りに美しいが
ゆえに喪に服す必要があるたび、まずその爪
を折ったという(『陳書』巻七)。爪の長さが
五寸とは今の十二㎝にあたるから大変長かっ
たわけだ。指の先にもう一本指が伸びていた
くらいの感じだっただろう。それで書や計算
に巧みで詩及び楚辞も朗誦できたというか
ら、才能容姿ともに衆人の耳目を集めていた
らしいと分かる。
ジョイナーの爪はたしか十二㎝もなかった
と思うが、現代の常識では異様に長かった。
しかも極彩色のマニキュアによって一層目立
たせていた。強烈な自己主張にみえた。中国
文学をかじった者にとってはあの爪は異端な
までに傑出した才能と、美しく魅力的な女ら
しさを表すものだと判断できた。
それにしてもジョイナーは実はこんなこと
も先刻ご承知だったのかしらん、まさかそん
なことはあるまいにと、その暗裡に附合する
演出の見事さに稔ってしまった。
(くぼ・たくや)
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