2019年9月26日木曜日

昭和天皇 行幸日程 昭和4年5月31日-6月1日 白浜(瀬戸鉛山村)



和歌山県瀬戸鉛山村 行幸記録 
昭和4(1929)年
5月31日   警備艦大井、第18駆逐隊浜風、磯風、天津風、第三駆逐隊島風、田辺湾入港
6月 1日 7:00 御召艦長門、供奉艦那智、灘風を随え瀬戸崎沖に姿を現わす
  7:30 大井、皇礼砲を放ち、天皇旗翻したる長門、田辺湾内に進む
  7:53 長門、投錨
  8:00 田辺御入港
    賜謁(和歌山県知事等)
  9:00 艦載水雷艇に御乗艇 
  9:23 綱不知桟橋御到着
  9:30 瀬戸鉛山綱不知桟橋御上陸 御徒歩40分
    綱不知-大通り-御船山横-藏ノ鼻入江-磯伝いコンクリ新道-円月島
  9:56 桔梗平の臨海研究所着御
  10:10 京都帝国大学附属臨海研究所着御
    便殿(特別研究室を充当)
    (便殿の「便」はくつろぐ意。行幸先で天皇皇族が休息するために設けられた部屋)
    賜謁(京都帝国大総長等)
    研究御聴取(前後1時間) 南紀の地形、地質、温泉に就て
      紀伊沿海の動物に就いて
      紀伊産貝類に就いて
      浮游生物に就いて
      海藻類に就いて
      海藻の色素と夏蜜柑の生化学的研究 
  11:20 学生実験室に入らせ給う
    御巡覧 機械室、材料室、図書室、整理実験室、薬室、暗室、普通研究室、水槽室
      体重30貫の大海亀、胴回り1尺2寸体重3貫の大鰻
    地方物産御覧
  12:30 便殿に還御
    御昼餐
    御召替
  13:20 崎の浜より御座船に乗御(船夫、雑賀弥之助、南常三郎、大江四郎吉)
    和船「ぢのしま」(海士、正木善松、金谷徳松、田中惣一郎、小山仙之助、今津佐太郎)
    御座船と「ぢのしま」は、長門艦載水雷艇に曳かれて進む
    少し離れて「をきのしま」は他の艦載水雷艇に曳かれて進む
    円月島通過
    四双島停船 「ぢのしま」の海士5名、潜水 前後30分
    番所ヶ崎を右にして進む
    塔島の岩間に停船 同様に御採集を続けさせられ 約30分
    再び御座船の綱を艦載水雷艇に結いて田辺湾深くへ
    江津良の浜辺に当たり「一団の群衆を望みしか小学校の児童と覚しく手に手に国旗を持ち
御座船の近づくと共に高く之を捧げて萬歳を唱えたる」
    神島停船 「陛下には島蔭の波静かなる処に御船を停めて島に下り立たせ給う」
    南方熊楠に島上に於て拝謁を賜り暫し御進講を聞こし召す
    再び御座船に乗御
    畠島に向わせ給う(全島徳川公爵家の所有に属す)
    小丸島の傍より御上陸あらせらる
    畠島に渡御
    北方の断崖に沿いて砂浜に出御あり
    再び小丸島に戻る
  17:30 艦載水雷艇に御移乗、御召艦長門に還御
    直ちに海軍軍服に御召替、南方熊楠に拝謁を賜る 25分間御進講
  18:30 長門御抜錨、那智以下の供奉艦を随え、田辺を御後に御出航
  19:00 御晩餐会(御召艦内にて)
  21:00 潮岬の突端に差し懸る    (町民は午後7,8時頃より手に々々提灯を打ち振りつつ
続々海岸に詰めかけ人の波は刻々と増加)
    御召艦、串本湾内樫野崎沖に投錨
  22:30 串本御入港
  23:00 午後11時過ぎ、御寝に就かせ給う
(『和歌山県行幸記録』和歌山県 昭和4年12月20日発行による)

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