和歌山県串本町 行幸記録 |
昭和4(1929)年 | |
6月3日 |
早朝 |
御目覚め |
(7:30) | (御召艦長門、供奉艦那智、警備艦大井の選手の挺櫓のボート御召艦付近に集合) | |
8:00 | 海軍余興ボートレース御覧 | |
(コースは大井より御召艦までとし距離1200m)(出走艇は計8隻) | ||
陛下は御微笑を湛え給い御熱心に御覧 | ||
9:30 | ボートレース全部終了 | |
御小憩 | ||
10:00 | 御召艦に御移乗 | |
樫野崎へ発御 | ||
10:15 | 樫野築港桟橋に御着 (御召艇は2隻の供奉艇を隨う) | |
桟橋に降り立たせ給う | ||
御歩行にて新設の御幸道を進ませ給う | ||
島民の跪坐奉迎する間を、御挙手の御会釈を賜う | ||
御上陸地点より凡そ15町、蝉時雨の降りしきる中を凡そ20分進ませ給う | ||
10:35 | トルコ軍艦遭難紀念碑の前に着御 | |
陛下は御挙手の御会釈を賜う | ||
四辺の光景を御眺め | ||
樫野崎燈台に御臨幸 (紀念碑より2町) | ||
燈室に入御。入口に掲げたる懸額を天覧に供す | ||
(懸額には和英両様あり。英文「西暦1870年7月9日始めて点火」
和文「明治3年6月10日点火」) |
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10:55 | 樫野崎燈台を御後にす | |
樫野桟橋に着御 | ||
樫野桟橋より艦載水雷艇に召され、勇壮なる大謀網を天覧 | ||
(6艘の漁船に囲まれた網の中は一間もあらんかと思わるる 大マグロ60尾-紀伊新報-もあり) |
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陛下は終始御興深げに立御のまま御覧。 御親ら両方の御手を以て魚の大さを形容遊ばさる |
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12:10 | 御機嫌麗わしく還御の途に就かせ給い、御召艦に還御 | |
14:30 | 大島村須江白野海岸で御採集遊ばさる | |
17:20 | 御召艦長門へ還御 | |
19:00 | 御出航 | |
(街の灯、島の灯、奉祝のイルミネーション点々として、 桟橋浜辺も無数の人々を以て埋められ、 |
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学校生徒児童は小旗を打振り、御海路の御平安を祈り奉る) | ||
那智、大井の諸艦より皇礼砲を打出し、御召艦長門は檣頭高く天皇旗を翻し、 | ||
串本湾を離る、大島の沖を廻りて一路大阪に向かい御発航 | ||
(『和歌山県行幸記録』和歌山県 昭和4年12月20日発行 による) |
2019年9月26日木曜日
昭和天皇 行幸日程 昭和4年6月3日 串本
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