2017年2月5日日曜日

紀州田辺藩版の仏書(上) 藤堂祐範 中外日報1932年6月11日

紀州田辺藩版の仏書(上) 藤堂祐範
中外日報 昭和七年六月十一日 一面

紀州田邊藩版の佛書(上) 藤堂祐範

 余は今春三月初旬より病臥、四月下旬やや小康を得たので、南紀田邊に転地病を養ひ居る際知人下村氏よりこの地に版木があるとの話を聞き調査の結果計らずも藩版の佛書二種の版木なることを知り、洵に珍しき出版物としてここに紹介することにした。

 徳川時代の書籍出版社を類別すると、慶長元和の頃後陽成後水尾両帝の勅題により出版された勅版。徳川家康が伏見及び駿府に於て僧三要等に命じて出版せしめた木活本銅活本等より、降ては湯島聖堂及開成所等幕府若くはその支援の下に出版された官版(広義に見て)。全國各地の藩邸又はその藩校で出版された藩版。神社や佛閣で出版された社寺版。町屋その多くは書肆から出版された町版等。斯く幾多の種類はあるが、就中藩版は藩主の好学より諸侯直接の出版となりたるもの、または藩の学館或は儒臣等により印行されたもので、その書籍は可なりの多数で、東条琴臺の諸藩蔵板書目筆記によれば、出版の藩は八十藩に上り、その出版書は四百余部約六千巻に達して居る。また昭和三年十二月全國圖書館大會に際し、御即位大典奉祝のため京都帝國大學圖書館で會して書物を陳列した展覧目録によると、六十一藩、百五十七部、二千二百冊である、若し巻数にしたら恐らく五千巻にも達することであらう。かく記録された数字を見れば如何に各藩が學問の振興に盡したかが判る。然るにその出版された書物の種類は漢籍即ち経書より史書詩文集等が大部分で、国書は至て尠く、漸く水戸彰考館の大日本史、扶桑拾葉集、参考源平盛衰記等、下野黒羽藩の日本書紀、熊本藩の泯江入楚等二、三十部に過ぎない。更に佛典に至りては皆無と見らるるほどで、諸藩蔵版書目筆記には筑後佐伯藩の閲蔵知津三十巻、法華經通義十六巻、因幡の鳥取藩で護法漫筆二巻、法華經新點七卷、同校異一巻の五部が叙録されてあるくらゐで、その出版は實に寂寥たるものである。

 かく佛書の藩版の僅少なるにかかはらず、紀州田邊藩に於ては幕末に近き文化十四年に圓覺經略疏四巻、般若心経注解一巻が出版されて居ることは實に珍貴の現象を見ねばならない。この二版本は流布至て尠きものと見へ、京大、東大、谷大の各大学圖書館の目録にもなく、また駒澤大學圖の漢籍目録にも著録されてない。考ふるに幾分の発売は和歌山の書肆帯伊に許されたらんも、重に領内有縁の道俗のみに少数部が頒たれたのであらう。この版木の初めて気付かれたのは大正十三年郡誌編纂の資料を蒐集の際、多屋謙吉、毛利柴庵の両氏が同地の地蔵寺で之を発見し、二部を新刷し各自儲蔵せられた。その内多屋氏所蔵の本を余は眼福し得たのである。余は滞在中藩侯の菩提所であり、またこの版木に關係がある同町の海蔵寺を訪問したら、和尚は今更のやうにその珍版なることを知り、圓覺經だけは所蔵があるとて、虫害甚しき舊摺の本を見せられた。これ等新旧の摺本によって大略を記せん。

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