2017年2月5日日曜日

紀州田辺藩版の仏書(中) 藤堂祐範 中外日報1932年6月12日

紀州田辺藩版の仏書(中) 藤堂祐範
中外日報 昭和七年六月十二日 一面
紀州田邊藩版の佛書(中) 藤堂祐範

 圓覺經略疏は上下二巻、各巻上下に分れこの版本は句讀のみで訓點はない。唐の圭峰宗密禅師の撰である。扉は下に出す般若心経の扉の写真と同じ意匠で中央に「圓覺經略疏」と大書し、上部に「紀南田邊邸蔵板」と横書し、右側に管板(版木管理の意か)田邊海蔵寺、松雲院、湊福寺、高山寺の四寺を列挙し、また左側に「装釘若山書林青霞堂」とある。この扉は何故か海蔵寺の舊摺本にはない。巻頭には唐の裴休の序と、撰者の序とあり、巻末に
    新刻圓覺經跋
  蹤衆生具圓覺不能知圓覺矣。余久之得之。猶要令同志者知之。故▲梓以▲▲将来云爾
  文化丁丑春三月
     觀妙 藤原道紀  觀妙
の跋あり。これ田邊城主十二代安藤道紀五十六歳の時のものである。その次に同町の松雲院住持の密幢悚息の「記▲刊▲▲略▲後」と題した一文あり、中に「坊間之諸本多誤字、且旁譯副墨紛然紊真、我侯深憾之、乃命封内海蔵湊福高山三寺主及貧道、校讐諸本、使安養寺主写焉、點句附讀、毎行施系、以擬支那本為邸蔵」、これ本書出版の縁由を略叙して居る。文中に安養寺とあるは田邊の隣村南部村にある真言宗の寺ときく。最後に奥附は写真に示す如く「紀南田邊邸蔵板」とある上に、中央には「田邊珍寶」の朱印が捺してある。発行書林帯屋伊兵衛は帯伊と称し、扉にある青霞堂のことで、紀藩の御用書肆で現今も盛に営業している由、紀伊名所圖會三編十八巻は重にこの帯伊の主人なる高市志友の手になったもので、志友は青霞堂と号し、その前編六巻は文化九年に出版して居るから、同十四年に出版されたこれ等の藩版にも彼は預たことであらう。なお惜むべきはこの圓覺經の版木現今は一枚を紛失して居ることで、新摺本では上巻之一の第十六、十七の紙が缺脱して居る。


 次に般若心経注解一巻は興▲寺圓耳の著で、扉は写真に示す如くで本文は▲▲附である。巻頭に藩主安藤道紀の「心▲注解再刊序」あり、文中に「▲息明著、善美▲▲者、▲▲注解也、▲▲科文▲多、不便所▲故、今書▲去、唯▲其略再刊、以施衆生、欲令速断除妄心、頓顕発本性写是余願也」と、その志願を誌して居る。巻末には圓覺經と同じく密幢悚息の跋ありて「觀妙老侯、夙崇信我法、特篤讀、依圓覺經、既得玄珠焉、實可謂今世未曽有矣、頃新刊彼經略疏、旋又刻此經注解、乃手自作序、命貧道▲跋、侯序▲▲無餘▲、▲亦何言」と来歴を叙して居る。これ二書ともに道紀の道心の発露であることがわかる。奥附は圓覺經と同じ形式で、ただ出版の月が彼は三月、此は八月で約半年の間隔があるばかりである。

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