2012年4月24日火曜日

内村鑑三の自筆原稿 「聖書之研究」 見つかる 2011 5






明治、大正期の代表的思想家
内村鑑三の自筆原稿
福山大教授 井原で発見
備後との交流探る史料


 明治、大正期の代表的思想家内村鑑三(1861~1930年)の自筆原稿を、江戸末期の
医薬学者中村耕雲の旧宅(井原市高屋町)で福山大の研究者が発見した。内村と備中・備後地域のつながりを探る史料として注目を集めている。

 見つかったのは原稿用紙15枚。「邪曲(よこしま)の人」と題され、1924年3月発行の「聖書之研究」296号に掲載されたものとみられる。聖書の一節について「イエスは教へて曰ひ給うた『善き人は心の善き庫より善き物を出し・・』と」などと引用を交えて解説。赤字の校正跡もある。「『聖書之研究』第三百號紀念傳道・・金5圓御寄附下され誠に有難く存じ奉ります」と記した領収書と一緒に、封筒に入っていた。
 送り先は中村耕雲の子孫の九郎(1897年~没年不明)。九郎は旧宅の最後の住人で現在の興譲館高(井原市)の教員を務めた。
 大学時代、東京で内村主催の聖書研究会に所属し「聖書之研究」の購読者でもあった。
 福山大人間文化学部の久保卓哉教授(中国文学)が、中村家の足跡をたどる研究の一環で旧宅を調査した際に発見した。内村の研究者で恵泉女学園短大の大山綱夫元学長によると、内村は「聖書之研究」300号を祝い、1925年に読者から中国やアフリカへの義援金を募った。全国百数十人から現在の金額で100万円近い1704円が集まり、寄付の返礼として自筆原稿を送ったという。見つかった原稿もこの時のものとみられる。
 大山元学長は「内村の自筆原稿は国際基督教大図書館などにある程度まとまった形で保管されているが、多くは散在しているとされ、見つかることは珍しい」。久保教授は「中村家は地元の名家で内外の思想家、文化人らと交流があった。中村家を通じ、備中・備後地域の先達も影響を受けたのでは。交流の具体的な中身を明らかにしていきたい」と話している。(小泉潮)

 内村鑑三
高崎藩士の子に生まれ、札幌農学校(現北海道大学)でキリスト教と出合い、信仰を深めた。主著「余は如何にして基督信徒となりし乎」のほか雑誌「聖書之研究」などに数多く執筆、無教会主義や非戦論を主張し、日本人や国のあり方を探求した。

 中村耕雲
1797~1865年。後月郡高屋村丹生(現井原市高屋町)に生まれる。薬草研究に尽力。石見大森代官所の命を受け、石見銀山の鉱毒対策にも当たった。没後100年を記念し、1964年に地元の顕彰会(現在は解散)により旧宅に顕彰碑が建てられている。

山陽新聞 2011年5月10日

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