2012年5月28日月曜日

林芙美子 川端康成宛て書簡発見 信濃毎日新聞2012年4月22日

 
(信濃毎日新聞 2012年(平成24年)4月22日)
林芙美子 信州での疎開生活つづる
川端康成宛て書簡発見
山ノ内 美術館調査「身を潜める状況伝わる」
6月24日まで企画展で紹介

作家林芙美子(1903~51年)が、疎開していた下高井郡郡山山ノ内町の角間温泉で、親交のあった小説家川端康成(1899~1972年)に宛てて書いた書簡の一部が発見された。1945(昭和20)年1月6日付で、神奈川県鎌倉市に住む川端康成に、信州の厳しい寒さなどをつづっている。同町の志賀高原ロマン美術館が企画展の準備中、研究者らの協力で見つけた。  

同館によると、林芙美子は44年4月から戦後の翌年10月にかけ、山ノ内町で暮らした。書簡は筆で記され、「三尺も雪に埋もれて、郵便やさんもめったに来ない村になりました」で始まる。「硯の水も凍ります」と信州の寒さを表現。小説家片岡鐵兵が亡くなった寂しさなどを伝えている。

書簡は、東京都内の林芙美子の親族が所有。宛先は記されて居なかった。同館学芸員の鈴木幸野さんらの調査で、広島県尾道市教育委員会が所蔵する書簡の前半部分と分った。川端康成が51年に文芸雑誌で紹介した書簡の内容と一致していた。

同館はまた、林芙美子が40年に満洲を取材し、現地の様子をまとめた「凍れる大地」の草稿5枚も確認した。林芙美子の夫で中野市出身の画家、手塚緑敏の長野県内の親族二人が別別に所有していた。草稿は「凍れる大地」の冒頭部分とほぼ一致している。

調査に協力した福山大(広島県)の久保卓哉名誉教授は、書簡発見を「疎開した信州で林芙美子が身を潜めて生活している状況がよく分かる貴重な資料」と評価。

草稿は「(出版された内容と比べれば)軍の力が強かった時代にどう原稿を推敲したかをたどれる可能性がある」とする。

同館は21日から、この書簡と草稿などを含め、林芙美子と山ノ内の関わりなどを紹介する企画展を始めた。6月24日まで。
(信濃毎日新聞 小幡省策記者)



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