2013年5月11日土曜日

八百里洞庭湖



 地球科学の研究機関に(財)リモート・センシング技術センターがある。リモート・センシング(remote sensing)とは遠隔探査という意味で、地球観測衛星から送られるデータを受信・処理して、地球の資源、現象を分析することを業務としている。そこの研究者田中總太郎氏からemailが飛び込んだのは、二〇〇二年九月三日の事であった。洞庭湖の衛星写真を分析すると、湖水面積が過度に小さいことが判明した。長江に洪水が発生する原因は、森林伐採によるという通説の他に、洞庭湖の縮小による湖水面積の減少に原因があると考えられる。洞庭湖が何故かくも縮小したのか、その歴史的変遷を調査すべく文献を探したところ、貴方の翻訳に辿り着いた。ついては引用したいので同意を求める、というものであった。
 後に送られてきた田中總太郎氏の「洞庭湖の四季」と題する報告によると、衛星画像から計算した洞庭湖本来の最大湖水面積に比べて、二〇〇二年八月三十一日の洞庭湖の湖水面積は洪水後四日目であるにもかかわらず、五分の一しかない。一八二五年の記録と比べても三分の一以下に減少している。洞庭湖の洪水調整能力が痩せ衰えたことが、長江の洪水の主原因となっている。洞庭湖の湖面が減少したのは、堤防を築いて干拓し、耕地と宅地を確保して来たためである、という主旨の考察が、歴代の瀟湘八景図や水滸伝の文化資料にも言及して、分かり易く展開されていた。
 本書には、洞庭湖の縮小、干拓による湖沼の消滅、水源断絶による湖沼の消滅、土砂堆積による湖沼の消滅、の小節目があって、湖沼の変遷の歴史が述べられて意いる。その拙訳試行版が田中總太郎氏の目に留まったようであった。
 その後秋になって、軒下や植え込みの枝に巣を張る蜘蛛のごとくに身を潜めて網を張っていると、洞庭湖に関する情報が引っかかって来た。それは、豊かな水源を誇っていた湖北省に水不足の懸念有りという、耳を疑うばかりの情報であった。
洞庭湖のある湖北省は「千湖之省」と呼ばれる。湖北省の人びとはその名を誇りとし、「水に憂い無し」と壮語して来た。だが今や、水に憂い有り。何と信じられないことに、水不足という災禍を抱えているという。新華社発二〇〇二年十月十七日の報道によると、工業廃水と生活汚水による水質汚染に加えて、一九五〇年代に一千五十二あった湖沼が現在では僅か八十三に減って、「千湖之省」どころか「百湖之省」とも呼べなくなった。省都武漢に至っては毎年二つの湖沼が消滅し、全国では毎年二十の天然湖が消滅している。原因は大規模な干拓と、地表水の断絶にあり、それによって水面が急激に縮減して大河への供水貯水能力が減少し、洪水災害が増大している。古来「八百里洞庭」と称された洞庭湖は、今やその十分の四しか残っていない。と、このように伝える情報が引っかかって来たのである。この新華社が伝える数字は、田中總太郎氏が衛生写真によって分析した数値とぴったりと一致していた。
(『中国の環境保護とその歴史』研文出版 あとがき)

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