2013年5月11日土曜日

呼和浩特の高燕茜女史


中国環境報 高燕茜女史

中国の全人代常務委員会委員長(二〇〇二年)で前首相の李鵬が、副首相であった時の一九八四年の一月七日「第二次全国環境保護会議」の閉会式で行った講話の中で、「今年の元旦に、《中国環境報》が正式に刊行されたが、これは環境保護の政策を宣伝し、環境保護の活動を探究し、環境保護の知識を普及させる専門新聞で、これを成功させなければならない。」といった。この時はまだインターネットは現実のものではなく、その言葉すら存在しなかったが、現在の中国では環境保護の専門紙のみならず、「中国環境保護網」という環境保護の専門サイトが政府によって開かれているhttp://www.zhb.gov.cn/
その《中国環境報》の内蒙古呼和浩特(フホホト)市の記者で、『呼和浩特環境』誌の主編者である高燕茜女史が広島を訪れ、昼食を共にしながらいろいろと話をうかがった。「中国環境保護網」というサイトもその時教わったのだが、持参した発行物の中に《中国環境報》に女史が発表した署名入りの記事「西部大開発 呼和浩特市はどうするか」があり、その中で氏が呼和浩特市の自然環境を、「水土流失は三十四%、森林覆蓋率はわずか一七.四八%。風による浸食と砂漠化と水土流失が並存して、黄河に流れ込む泥砂の量は深刻。生態環境が脆弱なためにさまざまな自然災害が頻繁に起こっている。」「丘陵地帯に防風防砂の森林を造って水源を育て、山の斜面の耕作地を林と草の森にもどして、農地と森林のネットワークを作るべきだ。」と提言した部分が注目された。女史が持参した発行物には《中国環境報》のほかに、週刊《地球村》、《呼和浩特環境》があり、これらは大気汚染、水資源の問題から家庭のゴミ、騒音問題まであらゆる環境問題を取り扱う環境保護の専門誌で、私は会談の間中、女史の環境保護への熱い姿勢に圧倒された。ニコンの一眼レフを片手に、次から次へとシャッターを押してヒロシマの姿を写し取って帰った女史からは、後に『高燕茜環境新聞選集 藍天緑地碧水情』内蒙古大学出版社(全四九一頁)が送られてきた。
(『中国の環境保護とその歴史』研文出版 あとがき)

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