2013年5月6日月曜日

杭州の旅 まだ裸電球の中国 

裸電球 杭州の旅     マキとエミとわたし
                                 
  
 その時マキはソファから立ち上がろうとした。目は真剣だった。
私はその反応に戸惑った。マキが立てば私も立たなければならない。
立てばそれを実行に移すことになる。私はまだ迷っていた。

 夜の杭州駅に着いたときからその前兆はあった。沢山の人力車が並び、シャツのボタンをはずした裸の男たちが次から次へと客引きにきた。裸電球の赤い光で照らされた男の胸は汗と埃でべとついていた。

 男たちの口車に乗るのが癪で、わざと無視しつつ人力車の列を突ききって駅前の広場に出た。
 グリーン車にあたる軟座車で、上海から同室だったフランス人の若い夫婦は、最初に声をかけてきた人力車に乗ったのか、いつのまにか姿が見えなくなっていた。

 広場のバス停にはバスを待つ行列ができていた。
 マキとEの二人を同行したこの旅で、値をふっかけてくる人力車に乗るのは避けたかった。中国ではバスが安くて便利なのだということを見せたかった。

 と、急に辺りが騒然とし始めた。人の視線を追うとその先にトラックが見えた。ゆっくりと広場に近づいてくるトラックの荷台は、強烈な明るさのライトに照らされていた。群衆もそのトラックと共に移動してくる。荷台には四人の男が後ろ手に手を縛られて立っていた。ライトはその四人を照らしていた。それが一体何なのか、すぐには分からなかった。だが男たちが四人とも首をうなだれているのを見て察しがついた。

 男たちは犯罪者で今から見せしめための糾弾がこの広場で行われるのだ。話には聞いていたがその光景を目にするのは初めてだった。うなだれて荷台に立つ男たちと、それを見ようと集まる群衆の熱気。夏の暗闇の中で、何もかもが沸き立つようにうごめいていた。すべてがもの哀しかった。魯迅の「阿Q正伝」の世界だった。

 マキとEは杭州の暑さにへばって無口になっていた。私達は夜の十時になろうとするのにまだ宿を決めていなかった。
 これを見ていたらバスがなくなる。バスをあきらめて人力車を拾おうにも、人力車の男たちはこぞって犯罪者見物に出かけて、空の車が並んでいるだけだった。
 私は二人に広場で行われる見せしめとその社会的意義のようなものを説明し、それよりも宿を見つけることが先決であることを告げ、さらにバスに乗るときの心構えをいって聞かせた。

 バスに乗るときは体力がいる。並んで居てもバスが近づくと列はなくなり、止まる前から人はドアに殺到する。殺到した人の群れは車の動きに合わせ、ドアの前から決して離れない。ドアが開くと前から順に入るのではなく、後ろからも横からもわれ先に入ろうとドアに殺到する。ドアに手をかけた最前列の三、四人も決して譲り合わないから、いつまでたっても誰も乗り込めない。その時渦の中にいると猛烈に押されるが、弱気になるとうしろへうしろへとはじき出されて、結局バスに乗れない。覚悟しておけ、私に続け、といった。

 ものすごい圧力と戦ってようやく乗り込むと、二人は「ふーっ」と大きく息を吐いた。隣に立つ人の腕がニチャニチャと肌に触れる満員のバスが動きだした。二つ目のバス停を過ぎたとき、突然出入り口で喧嘩が始まった。乗客の若い男と車掌の若い女が激しく言い争っている。切符のことで男が咎められた風だった。男は次第に反撃する声と言葉のトーンが下がり、車内の雰囲気で男に非があることが分かった。と、その時である。「バチーン」とにぶい音がした。車掌が男の横っ面を張り倒したのである。それを間近に見た二人はまた、「ふーっ」と大きく息を吐いて顔を見合わせた。

 目指す宿は『地球の歩き方』に出ていた。私は降りるバス停を間違えたらしい。一つ手前で降りてしまった。

 西湖畔を北上する道路を歩くと、暑さを避けて散歩する大勢の人とすれ違った。歩きながら西湖の美しさや歴史を説明する私の言葉に二人は「ふーっ」と大きく息を吐き、「はーっ」と相槌をうつだけだった。荷物を持つ手を何度も持ち変えていた。

 ようやくたどり着いた宿には明かりがついていなかった。私はガラス戸をドン、ドンとたたき続けた。
 
  早く出てきてくれ。頼む。もうくたくただ。引率する私のメンツがつぶれる。学生を連れているのだ。
 
すると電気がついて、寝入りばなを起こされたとおぼしき女性が出てきた。私は大きな声で 
 「今夜はここで宿泊したい。部屋は空いているか」
といった。私は耳を疑った。
 「もう営業をしていない。やめて二年になる」
中国ではよくあることだ。その言葉を二人に伝えると、マキとEは倒れるように古びたソファに座り込んだ。錆びたバネが鳴り、埃が舞い上がった。『地球の歩き方』の情報は古かったのだ。

 停留所を二つほど戻るとそこには、安い「旅社」があるという。私たちはまた元の道を戻り始めた。バスはもう無かった。涼を求めて散歩する人もまばらになっていた。靴の中で二倍に腫れ上がった足はズキズキと疼いていた。マキのリュックは肩に食い込んで腰までずり下がっていた。Eの手提げバッグは、右に左にと、頻繁に持ち替えられていた。体格のいいマキはまだ足どりがしっかりしていたが、清楚なEには体力の限界がきていた。歩きながら睡魔に襲われてこくりと居眠りをしていた。何度も、突然立ち止まり、よろけてはマキの腕に掴まっていた。そのたびにマキに傾くEの長い首は汗で青白く光っていた。

 路地をいくつか曲がった所にある「旅社」にたどり着いたときは午前零時に近かった。裸電球が一つ下がっただけの受付に人は居ず、土の床と土の壁とのでこぼこが作り出す影が不気味に長く奥へつづいていた。その先には木と竹で組んだベッドがあった。上下二段になったベッドで、敷かれたワラむしろが薄明かりに浮かんで見えた。泊まり客はいないのか、ベッドに人影はなかった。

 物音を聞いて薄いワンピースを着た女が出てきた。女は客向けのわざとらしい笑みを作って、私たち三人を見た。深夜にやってきた思いがけない泊り客にほくそ笑んでいるみたいだった。笑みは「旅社」の客の少なさを表していた。
 「ベッドは空いている。別棟に案内する」
といった。だが、その笑みが私の心を殺いだ。私は泊まる気を失っていた。

 私一人ならいい。だがマキとEがいる。他人の汗がしみついたベッドと、もぞもぞと這い回る虫を肌に感じ、壁のカビと湿気がもたらす土くさい所で眠る。それに耐えられるだろうか。
 今考えれば耐えられなかったのは私だった。二人は
  「いいですよ、ここで。泊まりましょう」
と口を揃えていった。どこでもいい、早く眠りたい、といっていた。
 
 私達はまた歩き始めた。向かう所は杭州駅に近いホテルだった。深夜でも受付には制服をきたホテルマンがいる。そこにはきれいなシーツとシャワーがある。たとえ部屋がないといわれてもロビーのソファに横になればいい。しかしこれからまた歩かなければならなかった。しかも必死の形相でバスに乗り込んだあの駅まで。この悪魔の泥沼に引きずり込んだのは、明らかに私だった。マキとEはもはや全く喋らなかった。相槌をうつ声は出なかった。
 
 ホテルでは二泊した。快適な部屋と杭州の美しさを満喫した私達は、上海に戻る日の朝、荷物をまとめてロビーのソファに座っていた。
 私は低い声で、料金を払わずこのままホテルから出ることを口にした。ロビーのソファには西洋人の旅行者があふれていた。このまま黙ってホテルを出ても気づかない。
         
 強く反応したのはマキだった。目とひたいが光った。おもしろい、やろうという反応だった。Eは驚きもせず私の顔を静かに見た。純真なEには、私特有の冗談だと映ったらしかった。
 しばらくの沈黙の後、
  「行くぞ」
といった。マキは肘掛けの上の両手に力を入れて立ち上がった。マキの目は真剣だった。

 私はその力強さに戸惑った。マキが立てば私も立たなければならない。立てばそれを実行に移すことになる。しかしもはや後には引けなかった。リュックを持ち上げる動作がゆっくりだったのは私に迷いがあったからだ。私達は立ち上がった。

0 件のコメント: