旅先のオッズ&エンズ (『国文学報』第43号 2000年3月 71-72頁)
旅先のオッズ&エンズ
アルコール
カラチの十月は三十四度の猛暑だった。アルコールが禁止されたイスラム世界で、
お酒は禁断の木の実だ。帰国の前夜、宿泊先のやどや全体に緊張が走った。ある部
屋のテレビが壊され、床のジュータンの下からビールの空き缶をつぶした残骸が何十
個も発見された。その部屋にいたのは同じイスラム世界のマレーシアからの青年四人
だった。
別の部屋にいた年輩のマレーシア女性ワサナは、事態の深刻さを興奮して話した。
マレーシアではお酒の甁に触れることも許されない、タッチしてもダメ、酔った勢いでテ
レビも壊したんだわ。ぞくぞくとその部屋の前に集まったパキスタンの従業員の男たち
は、不思議なことにマレーシア女性と当の四人よりも青ざめた顔をしていたのはなぜな
んだろう。
インタビュー
地元のプレスからインタビューを受けたときだ。優しい目をした二十代の新聞記者
ラジャさんは、パキスタンに来るのは初めてか、どんな選抜を経て日本から来たのか、
パキスタンに着いたときの印象は、気候はずいぶん違うのか、滞在してみてどうか、
パキスタン料理は好きか、パキスタン国内をフリーチケットで行けるとしたらどこへ行
きたいか、日本に持って帰るとしたら何を持って帰りたいか、などと聞いた。とびきり辛
いカレーが好き、ラクダがいい乗って日本まで帰りたい、民族衣装を着てみたい、こん
な答えはとくにラジャさんを喜ばした。
写真入りで出た翌日の新聞を見て思わずうなった。どんなことが好きか、と聞かれた
とき、一行のKeikoは、学校から帰って家で寝るのがいちばん、と答え、Yasushiは、
友だちと一緒に遊んでる、と答えた。
翌日の新聞には、
Keiko: I like to sweep the house.
Yasushi: I like to pray with friends.
と書かれていた。とくに目的をもたず、なにかと茶化すことが常となった日本の若者の
答えは、「ねる」「あそぶ」だったが、それが家をほうきで掃き、友だちと一緒にお祈りを
することに化けていたのだ。ラジャさんはどうりであのとき、うれしそうな顔をしてメモをし
ていたわけだ。期待どうりの答えを引きだした自分のインタビューにニンマリしていたの
だ。イスラムの世界の若者と日本の若者の世界がすれ違ったまま交わることがなかっ
た瞬間だった。わたしの英語のせいじゃないぞっと。
お茶とティー
アジアではお茶のことをみんな同じような呼び方をする。中国と日本はもちろん「茶」
といい、インドやパキスタンでは「チャイ」だし、トルコでも「シャイ」という。ややとんで
ポルトガルも「チャイ」だ。中国語の「茶」ということばが茶の葉とともにアジア全域と
ヨーロッパに伝わったことがわかる。だのに英語でティーというのはなぜだろう。
福建省のアモイ廈門や広東省のスワトウ汕頭では「テー(te)」といい、福建省のザ
ンピン(さんずい偏・章平)では「ティア(tia)」永春では「ティエ(tie)」という。英語のtea
は実は中国語だったのだ。どうやらお茶のことをいう呼び方で、中国語の「茶」とい
うことば以外の呼び方は、この地球上に存在しないらしい。
アルコール
カラチの十月は三十四度の猛暑だった。アルコールが禁止されたイスラム世界で、
お酒は禁断の木の実だ。帰国の前夜、宿泊先のやどや全体に緊張が走った。ある部
屋のテレビが壊され、床のジュータンの下からビールの空き缶をつぶした残骸が何十
個も発見された。その部屋にいたのは同じイスラム世界のマレーシアからの青年四人
だった。
別の部屋にいた年輩のマレーシア女性ワサナは、事態の深刻さを興奮して話した。
マレーシアではお酒の甁に触れることも許されない、タッチしてもダメ、酔った勢いでテ
レビも壊したんだわ。ぞくぞくとその部屋の前に集まったパキスタンの従業員の男たち
は、不思議なことにマレーシア女性と当の四人よりも青ざめた顔をしていたのはなぜな
んだろう。
インタビュー
地元のプレスからインタビューを受けたときだ。優しい目をした二十代の新聞記者
ラジャさんは、パキスタンに来るのは初めてか、どんな選抜を経て日本から来たのか、
パキスタンに着いたときの印象は、気候はずいぶん違うのか、滞在してみてどうか、
パキスタン料理は好きか、パキスタン国内をフリーチケットで行けるとしたらどこへ行
きたいか、日本に持って帰るとしたら何を持って帰りたいか、などと聞いた。とびきり辛
いカレーが好き、ラクダがいい乗って日本まで帰りたい、民族衣装を着てみたい、こん
な答えはとくにラジャさんを喜ばした。
写真入りで出た翌日の新聞を見て思わずうなった。どんなことが好きか、と聞かれた
とき、一行のKeikoは、学校から帰って家で寝るのがいちばん、と答え、Yasushiは、
友だちと一緒に遊んでる、と答えた。
翌日の新聞には、
Keiko: I like to sweep the house.
Yasushi: I like to pray with friends.
と書かれていた。とくに目的をもたず、なにかと茶化すことが常となった日本の若者の
答えは、「ねる」「あそぶ」だったが、それが家をほうきで掃き、友だちと一緒にお祈りを
することに化けていたのだ。ラジャさんはどうりであのとき、うれしそうな顔をしてメモをし
ていたわけだ。期待どうりの答えを引きだした自分のインタビューにニンマリしていたの
だ。イスラムの世界の若者と日本の若者の世界がすれ違ったまま交わることがなかっ
た瞬間だった。わたしの英語のせいじゃないぞっと。
お茶とティー
アジアではお茶のことをみんな同じような呼び方をする。中国と日本はもちろん「茶」
といい、インドやパキスタンでは「チャイ」だし、トルコでも「シャイ」という。ややとんで
ポルトガルも「チャイ」だ。中国語の「茶」ということばが茶の葉とともにアジア全域と
ヨーロッパに伝わったことがわかる。だのに英語でティーというのはなぜだろう。
福建省のアモイ廈門や広東省のスワトウ汕頭では「テー(te)」といい、福建省のザ
ンピン(さんずい偏・章平)では「ティア(tia)」永春では「ティエ(tie)」という。英語のtea
は実は中国語だったのだ。どうやらお茶のことをいう呼び方で、中国語の「茶」とい
うことば以外の呼び方は、この地球上に存在しないらしい。
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