本書の中で袁清林は、中国の水資源の涸渇化の歴史をふり返って、森林破壊がその元凶であると明言し、全力をあげて水源涵養林を回復させるべきだと主張している。二十世紀を石油をめぐる戦争の時代だとすれば、二十一世紀は水をめぐる戦争の時代だといわれているが、日本では相変わらず前世紀的なダム建設や、干潟埋め立てや、川の水を一気に流す事業を進めて、いたる所にコンクリートをぶちこんでいる。
私が住む町でも、このわずか五年の間に川の九十%がコンクリートで覆われてしまった。五年前までは「ここはきれいな川です 建設省」と書かれたトタン板の立て札が立っていた場所は、区役所が押し進める「環境整備」のもと、国土交通省への気兼ねも、自然環境への気兼ねも、きれいな水への気兼ねも、もちろん私の強硬な抗議への気兼ねも何もなく、水生植物と水生昆虫もろとも、すべての生態系を根こそぎ掘り返して、固いコンクリートをぶちこんでしまった。その結果、水はどこまで行っても浄化されることなく汚れたまま流れ下るだけで、蛍やヤゴの水生昆虫が死滅したのはもちろん、雑草すら生える所がなくなった。いま川にはゴミがたまり、岩にぶつかる水の音も消えた。
環境整備は、破壊したもの以上のものをもたらすことはありえない。
「私たちに至福をもたらすといわれたダムも、曲がりくねらない川も、埋め立てだらけの海岸も、がっくり来るような風景を増やしただけで、無用の長物となろうとしている。犠牲になったのは、鳥や魚だけじゃないと、だれもが気づき始めた。」と歌手の加藤登紀子さんが新聞に書いていた。たしかに「がっくり来るような風景」がいたるところで見られるようになった。しかも「だれもが気づき始めた」のに、まだ「がっくり来るような風景」をつぎからつぎへと造り出すやからがいる。そのやからとは、役所だ。
諫早湾の干拓、福山鞆の浦の架橋、沖縄泡瀬干潟の埋め立て、熊本川辺川ダムの建設。経済優先の水利事業が、そこのけそこのけと、雀の子を追い散らす。
中国の古代以来行われた水利事業の中で弊害ばかりが大きかったのは、湖を囲いこんで田畑を作り、海を埋め立てて田畑を作る干拓事業であった。中国では、干拓は生態の均衡を崩し、その悪影響が経済的に損失を与え、その損失は何ものによっても埋め合わせることができなかった。その失敗をくり返さないために、今中国では専門部会を組織し、国家の資金を注ぎ、市民の活動組織を作り、内外から人材を集めて環境問題に取り組んでいる。その速度の遅速は問うまい。中国は中国のやり方でかならずやり遂げるだろうから。日本のように、「だれもが気づき始めた」のに、後退を含む方向の転換をしたがらない役所ではないだろうから。
(『中国の環境保護とその歴史』研文出版 あとがき)
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