2013年5月6日月曜日

もものえだ 不登校


  わたしは幼稚園を途中でやめた。
なんとなくではなくて、行くのはやめよう、という明確な意識があった。
近所の友達はみな、幼稚園か小学校に行っていて、昼間はだれも遊び相手がいなかったが、さびしくなかったし、落伍感もなかった。
だが、親は気が気ではなかったろうと思う。周りの子供は元気よく「いってきまーす」と出かけているのに、自分の子供は幼稚園に行かずに一人で遊んでいるのだから。

 今もはっきりと覚えているが、幼稚園はおもしろくないと思ったことが二つある。
昭和二十七年当時、幼稚園は、瀬戸にあった第一小学校の奥に併設されていた。奥がすぼまった三角地で、園舎の両側には山が迫り、奥の笹薮の斜面を駆け上がると池があった。

 園庭には、動物の置物と、鉄パイプでできた四角いジャングルジムがあり、三輪車がおかれていた。
休み時間だったのか、授業の一こまだったのか定かではないが、そこでは顔見知りの男の子、女の子が、またがったり、よじ上ったりして大はしゃぎで遊んでいた。
橫には女の先生がいて、はしゃぐ子供たちを
 「いいあそびをしているね」
という表情をして見、子供が
 「せんせー、ここまで登ったよー」
と声をかけると先生も一緒になってはしゃいだ声をあげていた。
わたしは、それを遠くから見ながら、すこしも楽しい気持ちになれなかった。

 動かない置物の動物にまたがって、何がおもしろいんだろう。
組合わさった四角い鉄棒に登っていばった声をあげて、何がおもしろいんだろう。
あんなものひょいひょいとあがれる。
二三回ペダルをこげばすぐにハンドルを切って曲がらなければならないせせこましい所で三輪車に乗って、何がおもしろいんだろう。
遊具のすべてが単純で子供っぽくて、つまらなかった。
その遊具に夢中になって遊んでいる子供が、いかにもガキっぽく見えた。
これが幼稚園なのか、だったらわざわざ来なくてもいい、と思った。
子供用に造られたもので、子供が夢中になって遊ぶ、先生もそうする子供をほめている、という単相構造に違和感を覚えたのである。

 二つ目は、先生が嫌(いや)だった。まとわりついてくる子供は受け入れてかわいがるが、わたしのようにまとわりついていかない子供を無視する態度が許せなかった。
さびしかったからではない。やっかみからではない。そういう態度をする大人がいることが許せなかった。
嫌になると、服装から顔、張ったあごとつり上がった目までが嫌になった。
その先生はいつもしゃれたワンピースを着ていて、汚れるのを極端にきらっていた。四角い顔に鋭い目、角張ったあごが、好きになれなかった。

 そんなことを知るよしもない母にわたしは
 「幼稚園へいかん」
と言ってその翌日から行かなかった。
母によると、
 「なんでいかんの」
と聞いたら、わたしは
 「先生嫌い」
と答えたという。

 母はそれっきりわたしに何も言わなかった。幼稚園へ行きなさいとも、向かいの子は行っているのにとも言わなかった。今思えば、気が気ではなかったろうと思う。
 だが、何も言われなくて、わたしは助かった。

『もものえだ 古座田辺白浜と四季』収

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