一九九九年を前にしたある日、私はラジオのニュースを聞いて自分の耳を疑った。ラジオは、中国政府が荒れた自然環境を回復させるために、今後五十年にわたって木を植え、草の種をまいて「美しい山河」を取り戻すことを決定したと伝えていた。鼓動が速くなった。
一九九八年の夏である。中国では四十四年ぶりの大洪水が起こった。氾濫したのは長江と松花江で、中部の湖南省、湖北省、江西省と東北の黒竜江省、吉林省、内モンゴルが水に襲われ、二千人以上の死者が出た。家を失った人は黒竜江省だけでも二百十六万人、全国では千七百万戸の家屋が損壊し、水害の影響を受けた人は、日本の人口の二倍にあたる二億四千万人にのぼった。
長江流域では、この三十年の間に森林面積が半減し、流域に残る森林はわずか十%になった。そのために土壌は、日本の国土二つ分の面積が流出して、三十年前の二倍に増え、なお毎年二十四億㌧が流れ出している。長江の流れは黄色く濁り、もはや「第二の黄河」になった。このままのペースで土壌流失が続けば、三百年後には長江の全域がはげ山になる。そうなると貯水能力がゼロになった長江は少しの雨でも水と土砂が流れ出し、巨大な三峡ダムは何の意味も持たなくなる。
これらの原因は、森林伐採と土地開発にあけくれた結果であることを中国政府は知っている。だから、長江上流に位置する四川省政府は一九九八年九月一日から省西部の原生林伐採をやめた。これでパンダも生きのびることができるだろう。
中国政府の発表によると、中国の自然破壊の状況は、表土流出が国土の三十八%、砂漠化二十七%、草原荒廃十四%で、破壊されずに残った自然はわずか二十一%にすぎない。自然環境を回復させる五十年計画は三段階で、まず二〇一〇年までに長江、黄河の上・中流域を対象に、人為的な要因による表土流出をストップさせ、すでに流出した六十万平方㌔㍍と砂漠化した二十二万平方㌔㍍を回復させ、新たに森林を三十九万平方㌔㍍つくる。二〇三〇年までには、保全可能な土壌流出地域の六割以上と四十万平方㌔㍍の砂漠化した荒土を回復させ、新たに森林を四十六万平方㌔㍍つくる。最終の二〇五〇年にはすべてのプロジェクトを終え、植林可能な土地はすべて緑化され、荒れた草原は完全に回復された状態にするという。
これは二十一世紀に向けて発したおそらくは世界初の国家プロジェクトである。しかも五十年計画で自然を回復させるという宣言は、核廃絶や対人地雷全面禁止条約を批准し遵守すると宣言するよりも価値がある。なぜなら後者は国家間の利害や都合で反故にされる可能性があるが、前者の五十年計画を中国は必ず実行するだろう、中国は国家の方針として打ち出したことは万難を排して実行する国だからだ。
本書の著者袁清林が自然の歴史的変遷を明らかにし、その原因を分析し、環境保護のために人類が何をなさねばならないかを提言している内容は正しい。はからずも中国政府の今回の決定が、その提言が間違っていないことを証明する結果になった。
本書第七章「有史期の気候の変遷と種の絶滅」と第八章「環境変遷の歴史と原因分析」のなかでの圧巻は、人口増加と環境悪化の関係について言及し、四十二年間で人口が九倍に増える結果をもたらした清・康煕帝の政策に対して厳しく批判していることである。康煕帝は「康煕字典」「全唐詩」「古今図書集成」を編纂させた文徳政治と、ロシアとネルチンスク条約を締結した武徳政治で評価が高いが、一七一二年以後に増加した戸口に対しては永久に租税を徴収しない、と一見改革にみえる政策が、食糧不足とそれを補うための開発開墾をもたらし、清朝以後現在に至るまで、環境悪化を増幅させたというものである。一読の価値がある。
(『中国の環境保護とその歴史』研文出版 あとがき)
0 件のコメント:
コメントを投稿