社会のちから 韓国ソウル・明洞ミョンドンの街 (『国文学報』第44号 2001年3月 55-57頁 )
地下鉄4号線明洞ミョンドン駅から地上に出ると、もうそこは、ブティックとレストランが林立する大繁華街。道は下り坂になっていて、川下りのカヌーよろしく、自然と流れに乗って露天の店を冷やかして歩く。
それは午後5時頃だった。流れに逆らって立つ中年の男がいた。ぶつかりそうになったその男を見ると、なにやら喋りながら斜め後ろを見ていた。振り返ると大通りの端に一人の若い女性が正座して座っていた。しかも首をうなだれ、両手を膝の上において。暗~い、悲痛な表情をしていた。石の舗道に正座する姿は、心の中に固い決意が詰まっているように見えた。年齢は十代のようだった。
男にはあと二人の連れがいた。その二人も正座する女性に気がついて、4,5m通り過ぎたところで立ち止まり、人の流れに逆らうようにこちらに顔を向けていた。 川を下る濁流のように押し寄せる人波は、三人の男によって自然の流れをさえぎられて、そこに渦ができていた。渦の原因が男たちだと気がつくと、今度はその男が見ている方向に目をやる。次から次へと下ってくる人の波は、このようにして女性の存在に気がつくのだった。
私も立ち止まってその女性を見たが、女性は深くて重い傷を心に持っているみたいだった。周囲の目にさらすことによって、更に固く自分のなかに閉じこもろうとしているみたいだった。前のめりになって両腕を膝頭で突っ張る正座の姿勢がそう見えた。一点を見つめる表情は小刻みに震えていた。
二〇〇〇年は十七歳の少年が様々な事件を起こした。五月には愛知豊川市で、人を殺してみたかったと主婦を刺し殺し、数日後に佐賀では牛刀を持った少年がバスを乗っ取って、女性の首を切り裂いて殺した。六月二一日には岡山邑久郡の十七歳が金属バットで部員を殴った後自分の母親をも殴殺。山口では新聞配達をする少年がやはり金属バットで母親を殴殺し、八月十六日には大分県野津町で十六歳の少年が近所の一家六人をサバイバルナイフで殺傷した。
この事件を知って頭を抱え込んでしまったのは、いずれも、コンクリートで覆われた都会での出来事ではなく、自然が残り、人情に厚く、のんびりとした環境の土地で起こったことだった。
自然豊かな土地には、進歩した人間社会が束になってかかってもかなわない、力がある。その力は、やすらぎや歓びを与えてくれるやさしさもあるが、意のままにならない手強さと厳しさも持っている。だから人々はそんな土地では、厳しさに一人では立ち向かえないからお互いに助け合い、やっと得た喜びを独り占めにせずにそれを分け合ってきた。簡単にいえば、人と人とがお互いに声をかけ合ってきたのだ。 だが今、自然が残る田舎の町でも、その声が聞こえなくなってきた。わたしたちは自転車ではなく自動車に乗って移動するようになった。 車は速くて便利だが、止めて窓を開けて人と話すのには向いていない。エアコンのきいた快適な個室は、人と挨拶する言葉と声を奪う。たとえ自転車に乗っていても、拡幅されたコンクリートの道路は、速くて快適に自転車を先へ先へとみちびく。
いまやどこの町にも町内を真っ二つに切り裂く太い道路が出現した。これが人から、挨拶とゆずり合う気持ちと立ち話を奪った。だから今、車や自転車が通ったあとは驚くほど静かになる。人が住んでいるのに静まりかえっている。
実は周りの木々や水の流れの豊かな自然は人にやすらぎや歓びを与えるべく昔と変わらずそこに存在しているのに、町の人は便利な太い道路に乗ってサッと通りすぎていく。豊かな自然があるからといって、それが人に何ももたらさなくなった。ビルと地下鉄とけばけばしい店舗で埋め尽くされた都会と少しも変わらなくなった。
すれ違う人はもちろん、知っている人にも声をかけることはなくなり、だから自分が声をかけられることもない。ましてや、コラッと怒られることがないのはもちろん、大きなったのーと声をかけられることもない。 それをしてきたはずのおじさんやおばさんが黙ってしまったのだ。世代を越えて挨拶を交わし、見知らぬ人に声をかけることが日本の町から消えた。
だが韓国は違った。明らかに異常な光景を見た三人の男は、人の流れに逆らって若い女性の所に戻った。両膝をついて女性の前にしゃがみ、下から顔をのぞき込むようにして話しかけた。どう話したのかその内容は分からなかったが、両肩の間に首を折り込んでうなだれる女性の小刻みな震えが止まった。
女性はなおも顔を上げなかったが、男の言葉を聞くにつれ、正座の膝頭に突っ張った両腕の力が抜けていくのが分かった。
ミョンドンの買い物通りはとてつもなく人が多い。みるみる人が集まり周りを取り囲みはじめた。その時点で私から女性の姿は見えなくなったが、人だかりが減らないところをみると中では男の説得が続いているようだった。
その時である。連れの二人の男が大きな声と両手を広げる大きなしぐさで人だかりの輪の中から出てきたと思うと、人の好奇の目から女性を守ろうとするかのように人だかりを散らばらせ始めた。その騒ぎを見て更に集まってくる人をも、大きな声と両手を広げる大きなしぐさで追い返すのだ。
女性はなぜあのように正座してうなだれていたのだろう。私に理由は分からない。ミョンドンの雑踏の中に身をおかざるをえない寂しさと、出口がみつからない絶望感におそわれたのだろう。都会の雑踏は時としてそのような心細い孤独感を癒してくれるものだ。だが韓国の雑踏は女性を孤立したまま見殺しにはしなかった。そこには今の日本の街角から消えた社会のちからがあった。とりわけ、おじさんの自信に満ちた頼もしさがあった。
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