袁清林氏 |
中国の環境保護とその歴史』の原著者である袁清林氏と著作権の問題について話し合ってきたところ、原著者と出版社の中国環境科学出版社の二者が倶に、著作権を要求しないとの回答を伝えてきてくれた。これはありがたかった。私は袁清林に謝意を表すために、二〇〇三年三月北京に赴いた。ここにその時の事を記しておく。
がっしりした体躯に黒のスーツと赤いネクタイを付けた袁清林氏が、ドアの外に立っていた。私は声を挙げて初めて面会する喜びを伝えた。
その日私は北京に着いたばかりだった。氏と会うために十五時間夜行列車に揺られ、十四年ぶりの北京に降り立っていた。タクシーに乗ったものの車が道路に溢れ、北京大学勺園の宿舎に着いたのは一時間後の午後二時だった。今にも雨が降りそうな曇り空だった。携帯に電話をして上京したことを伝えた。
春になれば北京で会いたいと送ったファックスに返事が来たのは、二月のことだった。そこには、「知nin三月将到中国来訪問、熱烈歓迎nin。有朋自遠方来、不亦悅乎?我期待着在北京与nin会面、以便請教和交流。関于拙著的著作権問題、経与出版社聯係、出版社表示不提出要求。根拠?介紹的情況、我本人亦不提出要求。我的移動電話是○○、到達北京前後請告知。」とあり、この時も私は声を挙げて繰り返し読んだ。
部屋に入った氏は持参したものを袋から出し、説明しながら私に渡した。電話を受けて二十分後にはドアの前に立っていた氏に、品物を準備する時間は五分もなかった筈だが、紙袋の中から次から次へと品が出てきた。自ら揮毫した書、近著の本『行草毛澤東詩詞一百首』、北京の銘酒「二鍋頭酒」、海南省特製の珈琲一缶「興隆珈琲」。圧巻は氏の手になる草書体の書一幅であった。縦七十㌢㍍横百四十㌢㍍の画仙紙に、李白の楽府詩「行路難」の一節「長風破浪会有時 直挂雲帆済滄海」が墨痕鮮やか躍動していた。私はその時まで書家袁清林のことは知らなかったが、これはあなたに差し上げていなかったかな、と出した近著『行草毛澤東詩詞一百首』(台海出版社二〇〇〇年)は、書においても第一人者であることを示していた。これはすこし濃い味ですが、という「興隆珈琲」は帰国後試飲してその美味さに驚いた。口に含んだときの、香り、色、嚥下した後に広がる苦味の濃さが絶妙だった。何故珈琲を持参したのかその時は分からなかったが、後に中国熱帯農業科学院熱帯香料飲料作物研究所で作られた製品であることを知って納得が行った。氏の多くの農業科学の著作と、現在の職責、中国老科学技術工作者協会副秘書長とを考えると、熱帯の地海南省の珈琲が氏の手元にあったとしても不思議は無かったからだ。
勺園の部屋の寝台と寝台の間の狭い空間に向き合って腰掛けて話し込んでいると、いつの間にか二時間近く経っていた。腕時計を見た氏は、夕食を一緒にしましょう、下に車があります、と立ち上がった。階下に降りると、黒塗りの大型車に品のいい紳士がいた。私たちが来るまで待っていてくれたのだ。着いた先は中国農業科学院で、院内にある外賓招待所が会食場所であった。そこには氏の要請を受けて集まった男女二人が待っていて、にこやかに迎えてくれた。運転してくれたのは、中国老科学技術工作者協会秘書処辨公室主任の李国慶氏で、女性はその夫人、男性は副主任だと紹介された。
中国の会食は、客人の嗜好に合わせて魚肉の種類と調理法を決めると、当地の名物料理と季節の野菜の検討に入り、その後は点心(包子、餃子、ごま餅等)と果物が決まる。生来質素な食事で事足りてきた純日本人の私などは、満腹さえすればそれでいいのだが、あれが好き、これは嫌いと注文を付ければ付けるほど、熱心に食材と調理法を選んでくれる中国人の優しさに負けて、ついついわがままを言ってしまう。この時は、魚は余り好きではないがエビならいい、包子、餃子が好き、野菜は何でも食べる、と言ってしまった。すると、それを聞いた袁清林は、独自の料理哲学を私に講釈しながら、「日本人」向けに微修正する調理法が確実に厨房に届くようにと念を押して注文してくれた。しばらくすると大きな円卓に並べきれないほどの料理が次から次へと運ばれてきたのはいうまでもない。
「美味しいですね」「食べきれないほどですよ」「もうお腹がぱんぱんに張ってきました」「ほんとに美味しい」と言いながらお箸を動かしていると、「美味しい食事を食べると家に帰りたくなくなるでしょう。それを『喫飽不想家』というのですよ。」と袁清林。「中華料理は色と香りと味の良さが特徴です。それを『色香味美』といいます。」「これは筍ですよ。」と私の皿に運びながら、「蘇東坡の詩に、肉が無くても食事ができるが、筍無しで居ることはできない、というのがありますね。『寧不食無肉、不可居無竹』というのが。食べて見て下さい。今が旬ですからね。」
このように中国では、食事の時に、料理だけではなくて、中国の故事、ことわざ、古典の名句が次から次へと出てくるのが常である。それは年齢が高く学識も高いからだと思われがちだが、私の経験では、小さな子供や若い学生でも、四言、五言の古語名句が、歌を歌うように出てくる。これには感心する。中国では、何かにつけて名言警句を口にし、それをリズム良く朗唱する伝統がある。本来身につけているべき教養が、一定の水準以上保たれているのだ。日本だとこうはいかない。日本にも五七調の小気味よいリズムと古来の名句があるが、それが素養となって身につき、何かにつけて口に出てくるという、小さな子供や若い学生はいない。これは、花や草木の名を知らず、小鳥や昆虫の名を知らない日本人の空っぽさと、根は同じであろう。醜い形や、異常な色をした虫に悲鳴を上げて逃げまどい、悪臭や汚れに、全身で嫌悪感を表す今どきの日本人の軽さとも、根はつながっている。言葉と自然にまつわる体験の貧弱さがそうさせるのだ。わが国で、素養をはぐくむ伝統がなくなったのは痛い。
酒は普段から飲まないという袁清林は、一本の白酒、「京酒」を注文して私に勧めてくれた。私も普段から酒は飲まないので、沢山は飲めませんよといったが、自分も飲むから一緒に飲もうと、杯と杯を合わせて乾杯した。二人ともほぼ同時に顔が赤くなった様子は、見ていてほほえましかったのだろう、瓶を手に注ぎに来る女性の目元が笑っていた。酒に弱くてもアルコールが回れば気分が高揚する。私は、著作権を要求しないという著者への謝意をこめて、次のように言った。「この『中国環境保護史話』を読むと、日本の人々が持つ中国観が覆ります。現在の中国は、経済優先の開放政策のもと、環境破壊が深刻に進んでいるという印象があります。しかし中国では、環境保護を目的とする保護システムが、古代から確立していました。こうした歴史的事実は、日本では、一部の研究者を除いて、一般には知られていません。この本にはそれが詳述されているだけでなく、極めて現代的で切実な環境問題への提言があり、その解決策が示されています。例えば、人間が生きるために山林を開発して耕田を作り、干潟湖沼を埋め立てて耕田を作ったことが、生態の均衡を崩して環境に悪影響を与えたと書かれています。人間が豊かになるための経済活動が環境破壊を招き、その結果、却って経済に損失を与えて人間を貧しくしていると警告しています。日本でも現在進行中のものとして、諫早湾の干拓や、宍道湖の干拓、熊本川辺川のダム建設などがあり、環境破壊とそれに伴う経済と人間生活への悪影響が懸念されています。その意味でも、この本を日本に紹介して、広く読まれるようにしたいと思います。」袁清林は、私の拙い中国語を辛抱強く聞いた後、大きくうなずきながら更に一杯の酒を私に勧めた。
(『中国の環境保護とその歴史』研文出版 あとがき)
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