初めて大阪に出たときは敬語でえらい目にあった。
中学二年生のときだった。昼の休憩時間が終わって、もうすぐ五時間目が始まるというときだ。
遊びの余韻を残したまま、まだ教室に入っていなかったわたしは、授業にくる先生の姿を見つけて「せんせいきたどー」としらせて、走り込んだ。
さて、その授業が済んでからである。「起立、礼、着席」が済むと、国語の女教師は教卓までわたしを呼んで、放課後職員室にいらっしゃい、といった。
掃除が終わって職員室に行くと、先生は机に向かっていたが、背中が、待っていたよといっているのがわかった。
後ろに立ったわたしの方を向くと
「どうして呼ばれたか分かりますか」
「 …… 」
「よく考えなさい」
「 …… 」
「分かりませんか」
「 …… 」
たたみかけるように問いつめた。
わたしは返事のしようがなかった。まるで思いあたらなかったからだ。
すると先生は「今日廊下でわたしを見て、久保くんは何といいましたか」といった。
わたしの声におどろいてクラスのみんなが席にもどったので、わたしは自分の言葉をよく覚えていた。
「せんせいきたどー、と言いました」
それが問題であった。先生は、
「先生のことを『きたどー』とは何事ですか」
と、目をつりあげた。先生にむかっては敬語をつかって、
「いらっしゃった」
とか
「きはった」
といわなければならないとわたしを叱った。
これはわたしにとって青天の霹靂だった。ことば遣いが原因で職員室に呼ばれようとは思いもよらなかった。
そもそも、白浜、田辺の紀南語は、敬語の使い方が単相で、目上に対しても、
「いかんか」(行きませんか)
「いいやったで」(言っておられたよ)
「そやな先生」(そうですよね先生)
「これなんてかいたあんな」(これは何と書いているのですか)
という。
目下や同輩に対しても同じ表現をし、そこには敬語がはさまれていない。
せいぜい「食べよし」「見ときよし」の「よし」をつけて、相手に行動を丁寧にうながすぐらいである。この「よし」でさえ尊敬語ではない。
だからわたしの「先生きたどー」は立派な「先生きはったでえ」でもあるのだ。
先日も夕暮れ時江津良の浜を歩いて貝をひろっていると、三歳くらいの男の子が近寄ってきて
「なにしやんな」
といった。
そのことばを聞いてすぐに
「お、きみ、白浜の子やな。おいやん、貝拾いやんね」
と受け答えた。
「なにしやんな」は、何をしているのだ、ということであっても、何をしているのですか、何をしておられるのですか、という丁寧さや敬意をも含んでいる。これが白浜の言葉なのである。
『もものえだ 古座田辺白浜と四季』収
0 件のコメント:
コメントを投稿