2013年5月6日月曜日

稲の花 尾道の女友だち


 稲の花    (『国文学報』第41号 1998年3月 80-81頁 )

  稲の花 
  庭に水田を作って三年になる。たたみ一畳の田に水を引くと、いつの間にか
大きさの違う蛙が住み着く。昨年は蛍が一匹飛んできた。水田は生き物を呼び
寄せる宝庫。稲穂が稔ると雀の襲来が始まる。
 雀が田の稲を食べるには方法がある。飛び上がって穂の先を啄むと羽ばたき
をやめて地上に着地。稲の茎を途中で折っていく。一本また一本。食べ易いよう
に地面に引き寄せておくのだ。
 雀も飛ぶのはしんどいらしい。地面から稲穂を啄む方が樂ならしい。心ゆくまで
籾を啄んで白い米を食べていく。
 飛び去った後の稲穂は文字通り蛻の殻。「もぬけの殻」は「裳抜け」が語源らし
いがそれは誤りで「
籾抜け」が正しい、そう確信した。皆さんくれぐれもお間違えなく。
 刈り取った稲を米にする時、稲穂を落とす方法が分からない。結局、指で扱いて
籾米を収穫。今度は籾米を脱穀する手法が分からない。擂り鉢で擂っても木で叩
いても籾殼はビクともしない。稲は外面も強いが内面はもっと強い。
  稲の花の開花は数時間だけ。白い小さな花がひっそりと咲く。
  その白い花が咲いた後、うまく受粉して一粒でも多く秋に実るようにと願う昔の人は
 「雀が乳を吸いにくる」と言って雀を警戒していた。まだしっかりと実の入らない穂には、
 髄液とでもいう白いどろっとした柔らかいものが入っていて、其を雀が啄む。雀に吸
 われた稲穂は太らないでペシャンコの儘秋を迎えるからだ。こう教えてくれたのは尾道
 美の郷中野に住む私の七十八歳の女友達。
  彼女は、裸足で踵をつけて一回転しなさい、四、五粒籾殻が弾けて玄米が飛び出
 しているようなら、完璧に乾燥している目安となります、それを藁を叩く木槌で叩くと
 容易に籾殻と米とが分かれるのよ、とも教えてくれた。
  数千万年前から咲き続けてきた稲の白い花を見て、人と稲との長いつながりを思った。
 私は、その原始からの繋がりの輪に初めて入ることができたのだ。

0 件のコメント: