母は下品な言葉をつかうことをきらった。
「はし(箸)」というと「おはし」といいなさい、と言い直させられた。「茶わん」というと「お茶わん」といいなさい、とすぐに指摘がとんできた。
「しり(尻)」はもっとも忌むべき言葉だった。「おしり」ならいいかというと、それもだめだった。その言葉そのものが、普段口にだしていうべき言葉ではなかった。
広島に住むようになって、どうしてもなじめない言葉があった。
千田町の校門を出ると何軒かの大衆食堂があってよく通ったものだが、ご飯の中(ちゅう)と味噌汁を注文すると、店員は奥に向かって「めしちゅう一丁、しる一丁」とさけぶのが普通だった。
この「めし」「しる」という言い方が下品な感じがしてしかたがなかった。母なら「ごはん」「おつけ」といわなければ許してもらえないからだ。
とくに「しる」という言い方は不淨な感じがした。物からしみ出る液体で、汚濁して非衛生的なものが「しる」だったからだ。
だから「みそしる」でもいけない。わが家では「おつけ」か「おつゆ」だけが許される言葉だった。
またそこの食堂では、たまに箸立てに箸がないことがあって「おはしください」というと、店員は奥から持ってきて、はい「はし」とわたしに差し出したものだ。
つくづく、この地は高貴や典雅とは無縁の文化にあるのだなと思った。
『もものえだ 古座田辺白浜と四季』収
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